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国道42号土砂崩れ [熊野古道]



お昼のニュースを見てビックリ。
予定では来月1日の夜中に通るであろう道なので、現場の映像を見て「むむむっ!」となりました。
幸いなことにこれによる怪我人などは出ていないようです。

迂回路があるとのことですが、夜中に細い道は走りたくありません。
地図で確認すると現場はちょうど紀勢自動車道の海山ICと尾鷲北ICの間。
このIC間は無料で走ることが出来るみたいで、ホッとしました。

それにしてもこの辺りは道が整備されてきました。
紀勢自動車道が尾鷲まで伸びれば紀伊半島も近くなります。




タグ:ニュース

中辺路歩き(予定) [熊野古道]

熊野古道歩き。
11月の三連休に予定。
今回はThis is 熊野古道、ゴールデンルートと言われている中辺路の滝尻王子から熊野本宮大社まで。

1日目(11/1)
金曜日の夜9時にクルマで出発。
約5時間後に道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に着き仮眠。

2日目(11/2)
朝一番のバスで滝尻へ。
滝尻王子から継桜王子まで。


バスで道の駅「奥熊野古道ほんぐう」に戻り、渡瀬(川湯)温泉のキャンプ場へ。
キャンプ場泊。

3日目(11/3)
渡瀬(川湯)温泉からバスで継桜王子へ。
継桜王子から熊野本宮大社まで。


渡瀬(川湯)温泉のキャンプ場でもう一泊。

4日目(11/4)
ゆっくり寄り道しながら帰宅。

当分の間は、天気予報とにらめっこになりそうです。


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熊野古道歩き [熊野古道]

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旧社地大斎原

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百聞ぐら

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小口自然の家のお弁当。めはり寿司も入っていて美味しかった。

今年も歩きたい熊野古道。
昨年は熊野本宮大社から熊野那智大社までの雲取越え(中辺路)でした。
熊野古道・雲取越え(1日目)
熊野古道・雲取越え(2日目)
熊野古道・雲取越え(3日目)
天候にも恵まれ、とてもよい雰囲気を味わい楽しかったです。

まだまだいっぱいある熊野古道。
大峯奥駈道
小辺路
大辺路
伊勢路
まあ、今回は中辺路の残り、ゴールデンコースと言われている滝尻王子から熊野本宮大社までの40km弱が最有力候補です。
歩くのは2日なんだけど、いろいろ考えても3泊4日の日程になっちゃいそうです。

それとなく嫁には仄めかしておいた(笑)


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歌碑 [熊野古道]

先日の熊野古道には沢山の歌碑が建ててありました。
一応、全部カメラに収めてきました。

私的一等賞はコレかな。
小雲取のぼりて来ればかるかやに光和みて山つたふ風

エリオットさんに言われて、私も一歌・・・
夕暮れを 一人静かに 晩秋の 急ぐ足取り 雲取の路


小雲取越

「歩まねば供養ならずと亡き母がのたまいていし雲取に来ぬ」嶋正央
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「まさびしきものとぞ思ふたたなづく青山のまの川原を見れば」斎藤茂吉
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「どちらへも遠き山路やおそ桜」岩田涼莵
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「小雲取のぼりて来ればかるかやに光和みて山つたふ風」杉浦 勝
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「かがなべて待つらむ母 に真熊野の羊歯の穂長を箸にきるかも」長塚節
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「男手に牡丹餅にぎり山祭り」平松いとど
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大取雲越

「わが越ゆる大雲取の山中に円に坐す地蔵菩薩は」杉浦 勝
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「鯉のぼり大雲取の一軒に」須川峡生
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「風のゆく梢の音か瀬の音か、下りの道は心たのしも」土屋文明
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「瑠璃鳴くや雲取山のいきいきと」池本皎月
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「輿の中、海の如しと嘆きたり、石を踏む丁(よぼろ)のことは伝えず」土屋文明
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「虎杖(いたどり)のおどろが下をゆく水のたぎつ早瀬をむすびてのみつ」長塚節
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「紀伊のくに大雲取の峰ごえに一足ごとにわが汗はおつ」斉藤茂吉
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熊野古道・雲取越え(3日目) [熊野古道]

2012年11月25日(日)

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寒さで目を覚ましてからは、うつらうつら状態。
この日も5時起き。

インナーテントは大丈夫だが、フライがベタベタ。
食事後は前室でバーナーを燃焼させて乾かしを試みる。
結局は徒労に終った・・・。
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日が出るまではガスっていた。
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大雲取越の小口側入り口。
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円座石(わろうだいし)
大雲取越道のそばにある4つの苔むした大石。
「わろうだ」とは円形の座布団のことで、大石の上に熊野の神々が座って談笑したり、お茶を飲んだといういわれが伝わる。
大石には梵字三字が彫られており、それぞれ阿弥陀仏・薬師仏・観音仏をさす。
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楠ノ久保旅籠跡
約1.5Kmの区間に数箇所の屋敷跡が見られる。江戸時代には、十数件の旅籠があり、大変にぎわったという。北に見える小雲取の桜茶屋を指差して、あそこまで宿屋がないからここにとまるように、と客引きをしたとの話ものこる。
18世紀の参詣者の日記に、旅籠の亭主がいろいろもてなしてくれるが、野菜を植えても猿と鹿に食べられてしまうので、干ワラビ以外には菜や大根の類はない、ということなども記されている。
ここには、大正時代まで旅籠が営まれており、「豆腐あります、風呂わいてます」が宿の宣伝文句であったという。
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胴切坂の看板。
ここまでも相当辛かったが、ここからがもっと辛かった。
休み休み上がる。
胴切とは、この坂を上ると横腹が痛くなり切れそうだ、からきているらしい。
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ヤクに頼る。
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卒業記念で歩くらしい。
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越前峠
標高870m、中辺路の中でも最高所となる。ここにも茶屋があったようだが、屋敷跡ははっきりわからない。
越前峠と小口集落間は、延々と急坂で結ばれる。小口は標高65mであり、一気に800mの高低差を下る(上る)ことになる。特に、楠ノ久保集落跡までは、急坂に石畳が点在する「胴切坂」という、大雲取・小雲取越における最大の難所である。
最大の難所を突破して一息つく。
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看板には870mと書いてある。
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石倉峠から地蔵茶屋跡へ。
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「小口自然の家」でお願いした弁当。
めはり寿司も入っていた。
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エネルギー充填完了。
ここから少し舗装された道を歩く。歩き易いが、上りでエライ。
「色川辻」というところで舗装された林道とオサラバするが、ここでこの日最初で最後の歩行者と出会う。
年の頃は同年代。彼も初めて人と出会ったと言っていた。

海が見えた。キレイだ。
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この辺が「亡者の出会い」。
色川辻からの谷間の道の通称。
この坂を歩くと、物故した縁者や知人が白装束姿で現れるのを目撃するとの言い伝えがある。また、ダル(ヒダル神)やガキ(餓鬼)と呼ばれる亡霊にとりつかれ、異常な空腹感に襲われて死に至るとの伝承を南方熊楠が記録している。ダルやガキに憑かれた際には、わずかでもよいから食物を口に含めば、亡霊をしりぞけられるという。
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そして、とうとう舟見峠に到着。
舟見峠から南にもう少し進むと舟見茶屋跡がある。
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茶屋跡の上に眺望の良い東屋が建っていた。
宇久井の辺りだろうか。
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時間を気にしながら下りを急ぐ。
心拍的には楽だが、脚に力が無くなってきた。
靴の影響もあり、足首を挫きそうになる。

長い下りを歩き通し、やっと那智大社へ降りてきた。
時間は15時ちょっと前。
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さっさと参拝を済ます。
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帰りの南紀8号は17時10分、紀伊勝浦を発車。
15時45分発の紀伊勝浦行きのバスに乗る。
一旦、那智駅で下車して駅前の温泉に入る。
着替えが出来、さっぱりする。
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40分後、16時42分那智駅発のバスに乗り紀伊勝浦駅へ。
駅前のお土産屋で家にお土産を買う。

発車10分前に紀伊勝浦駅に着く。
乗車率95%。
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ビール2本とめはり寿司。
気持ち良く眠れた。
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歩行時間は7時間(古道のみ)。
この日出会ったのは、たった1人だけ。


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熊野古道・雲取越え(2日目) [熊野古道]

2012年11月24日(土)

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このビジネスホテルには無料朝食が付いていたが食べられる時間が7時半から。
本宮行きのバスが始発が7時5分で次が8時40分。着くのが8時半に10時。
本宮大社や大斎原を廻って小雲取越の入り口である請川までの5Km弱を歩くと、たっぷり1時間30分は掛かるだろう。
泣く泣く朝食は諦めて、5時起きの6時半のチェックアウト。

早朝の新宮駅。
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1時間20分バスに揺られて本宮大社へ。
太陽も顔を覗かせる。
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本宮大社参拝後、大斎原へ。
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国道168号を歩いて請川まで。思っていた以上に遠かった・・・。
ここが入り口。
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民家の庭先をかすめ、熊野古道へ。
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誰にも合わない・・・。
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松畑茶屋跡
熊野参詣道中辺路の派生ルート「大雲取」「小雲取」沿道には、茶屋などの跡が数多く遺されており、「松畑茶屋跡」もその一つである。
現在も、広い平坦地に高い石段を積んだ屋敷跡が二段にあり、墓地の跡もある。
元文4年(1739)の『熊野めぐり』には「松畑茶屋とて四、五軒も有。」と記されている。
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この辺でやっと人と出会う。
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百間ぐら
小雲取越前半の最高のビュースポット。
「おおっ」と思わず声をあげてしまう。
ただ、思っていたより狭いところだ。
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百間ぐらから少し歩いたところで昼食。
何でもないお寿司だがとても美味しい。
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石堂茶屋跡
元文4年(1739)の『熊野めぐり』には「石堂峠」として、茶屋が2軒あり旅客を泊めていた、と記されている。
また、寛永10年(1789)の『熊野詣紀行』では「さハのたわ茶屋」と読んでいる。嘉永元年(1848)の『西国三十三所名所図会』には「石砥茶屋」とあり、山中から砥石がとれたため名づけられたとの記述がある。
茶屋跡の中央付近には、枝が連なった桜(連理桜)の顕彰碑も建つ。
敷地の北側には水場、西方には茶屋の人々の墓石も残っており、往時の生活を偲ぶことができる。
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午後からは誰にも合わず。
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桜茶屋跡
茶屋の庭先に桜の大木があったので桜茶屋とよばれたとのことである。
街道沿いの茶屋の権利は、もともと村が持っていたと見られ、桜茶屋の権利は、享保2年(1717)に、「西」村から孫七が買い取ったという証文が残されている。
大正8年(1919)の天理教大山分教会の記録に、桜茶屋の建物が教会の一部として利用されたことから、桜茶屋はそのころに営業を取りやめたとみられている。
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眺めが良いのでコーヒーでもと思ったが、午後3時を過ぎていたので先を急ぐ。
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やっと人里へ・・・。ホッとする。
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山を下ると小和瀬橋がある。
小口自然の家までは1Kmくらい。

テントは他にいないので好きな場所へ。
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小さいテントなら1000円で利用できました。

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結構イケる。
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風呂は200円。
独り占め。気持ちいい。
その後に一気飲みしたコーラが美味かった。
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ポカポカの体で寝袋へ。
午後8時就寝。
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この後、寒さで目を覚ます。
時計を見ると翌1時くらい。体がブルブル震えている。
使い捨てカイロを取り出し、フリースを着込む。
何とか震えは収まった。

歩行時間は5時間半(古道のみ)。
午前中は10人ばかり、午後は誰とも会わなかった。


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熊野古道・雲取越え(1日目) [熊野古道]

2012年11月23日(金)

10時ちょうどの特急南紀3号に乗るべく、8時40分に家を出る。
早く着き過ぎるが、1時間に1本しかバスがない。
30分後に名古屋駅の人となり、一応指定席の確認をしてみるが、やはり無し・・・。
こうなると早く並ばないとけいない。

1時間に1本のバスが幸いして、自由席1号車の乗車位置に約15番目に並ぶことが出来た。
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さすが3連休、乗車率120%というところか。
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ディーゼル駆動の唸りを聞きながら4時間弱、新宮駅に到着。
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まずはバスのフリー券を熊野交通の瀞峡めぐり遊覧船のチケット売り場で引き換え。
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チェックインには早いが荷物を置かせて貰うため、ビジネスホテルへ向う。
歩くこと10分弱、ホテル・サンシャインに到着。
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自転車を貸してくれると言うので、サイクリストとなる。
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目指すは熊野速玉大社。
自転車で約10分で到着。
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天然記念物 速玉神社のナギ
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ここから出掛ける時にもあったが、年季の入った旅仕様バイクが停まっていた。
天気の悪かったこの日は停滞だったのだろうか。
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約2時間、市内を巡る。
チェックイン後、少し寝て食事に出掛ける。
近くの中華料理屋で生ビールに焼そばとライスをいただく。

シャワーを浴びてくつろいでいると子供から電話。
テレビ電話で喋って電話を切ると、バッテリーの充電マークがひとつ消えていた(汗)

有料放送のテレビを我慢して、10時前に就寝。


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熊野三山 [熊野古道]

今回の目標は、雲取越えを歩くのと熊野三山の参拝でした。

熊野速玉大社
-----wikipedia-----
和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。

創建年代は不詳である。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる[2]。また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、諸説ある。
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。
・1871年 - 近代社格制度のもとで熊野速玉神社として県社に列格。
・1883年(明治16年) - 打ち上げ花火が原因で社殿が全焼。
・1915年(大正4年) - 官幣大社に昇格。
・1967年(昭和42年) - 社殿を再建。
・2004年(平成16年)7月1日 - 「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。

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熊野本宮大社
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和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を主祭神とする。

1871年(明治4年)に熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)として国幣中社に列格し、1915年に官幣大社に昇格した。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあった。明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。
「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。 家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係する説もあるがやはりその素性は不詳とされる。
・創建:不明(伝崇神天皇代、B.C.33年?)
・旧社格:式内社(名神大)、官幣大社(現、神社本庁の別表神社)
・本殿の建築様式:第一・二殿は入母屋造、第三・四殿は正面切妻造向拝付、背面入母屋造
・祭事:
・摂末社:功霊社、祓戸神社、満山社、東石祠など
・その他施設:宝物殿

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熊野本宮大社 旧社地「大斎原」

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熊野那智大社
-----wikipedia-----
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある神社。熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。

参道の長い石段の上は、右に青岸渡寺があり、左は朱の大鳥居と大社の境内が続いている。拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。正殿の第四殿が最も大きく、若宮の左手前には第六殿(八社殿)がある。
なお、現在は山の上に社殿があるものの、後述のように元来は那智滝に社殿があり滝の神を祀ったものだと考えられる。那智の滝は「一の滝」で、その上流の滝と合わせて那智四十八滝があり、熊野修験の修行地となっている。熊野三山の他の2社(熊野本宮大社、熊野速玉大社)では、明治の神仏分離令により仏堂が廃されたが、那智では観音堂が残され、やがて青岸渡寺として復興した。青岸渡寺は西国一番札所である。那智山から下った那智浜には補陀落渡海の拠点となった補陀洛山寺がある。

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最後の熊野那智大社は、帰りの電車の時間もあり駆け足参拝となってしまいました。
ここは那智の滝もあり、一番観光地化されていました。
そう言う私も那智の滝にはもう何回も来ています。

洪水で流される前の本宮大社、花火の火で燃える前の速玉大社であったなら・・・、と思わずにはいられません。


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寒かった [熊野古道]

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温かい良い寝袋が欲しい。
むちゃくちゃ寒かった。
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今から本宮大社へ [熊野古道]

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今から新宮から本宮大社へ移動します。
天気は今のところ薄曇りです。
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